<そもそも佐賀のはじまりは?>

名前の由来は日本武尊(やまとたける‐の‐みこと)が樟樹(くすのき)が栄える有様を見て「栄えの国」と名付けられ、その後「栄えの都」となり改めて「佐嘉郡」と呼ばれるようになったそうです。(肥前風土記より)
それから明治維新になって「佐嘉」が「佐賀」に改められ今日に至っています。
しかし藩体制の時は佐賀、蓮池、小城、鹿島、唐津、厳原の6藩に分かれて統治され、明治4年7月の廃藩置県にて各藩は県と改称されました。
それから2ヶ月後に佐賀県と厳原県とを合併して伊万里県になり明治5年5月庁舎を佐賀に移し佐賀県と改称しました。
そして、同9年4月筑後の三瀦(みずま)県に合併され、同年8月三瀦県の廃止で今度は長崎県に合併されました。
それより8年後の明治16年5月に長崎県より分離し、今の三神地区や杵藤地区などと共に再び佐賀県と改称し現在に至ってます。
とまあ現在の佐賀県となるまでは紆余曲折があり、まとめますと佐賀から伊万里また佐賀から三瀦、長崎、そして佐賀にと目まぐるしく変化し、平成19年12月現在は平成17年から19年10月までの市町村合併により10市6郡(10町)となっています。